未成線 広浜鉄道 今福線 12 (2010/08/13)
次は、最後の遺構である、2つの隧道と3つの橋ですが、探索を開始したものの
こちらは、これまで以上に藪が深く、全く発見出来ませんでした。 m(_ _)m
ソレらしき人工物はあったのですが・・・
最後に、昭和8年より建設が始まり、戦争での中断、戦後再開されるものの
国鉄の財政難により計画頓挫 工事中止は英断だったと思いますが
地元の住民にとっては、悲願であっただけに建設中止は残念に思います。
また、当時の土木技術と、戦後の技術との差を実感でき
改めて、技術の進歩の速さも見ることができる探索でもありました。
もし、この今福線が開通していたら、この地はもっと栄えていたでのしょうか?
仮に開通していても、全国のローカル線同様に廃線となっていた可能性が高いと思います。
バブル期の遺構、とは時期が違いますが全国には同じような遺構がたくさんあると聞きます。
当時の時代背景など、この探索を期にいろいろと調べ、大変勉強になりました。
また、機会があれば是非もう一度訪れて見たいと思います。